あかいし よしひと それ本当? はてなブログ(赤石 義仁)

はてなブログ 時事ネタ・その時思ったこと・難しい用語は多様せず、分かりやすい記事を書いていきたいと思います。

★★★★ 劣等感の話② 子供に劣等感を与え過ぎてはいけない

 

 

劣等感をコントロールする方法を考えていきたい。以下は便宜上、前記事の一部を引用し張り付けておく。

 

劣等感とは一言でいうと、自分が他と比べて劣っていると感じること。

 

実際の能力等が低くても、比較の対象が存在しなければ劣等感というものはない。

また、比較の対象というものは自分と似ている者がなりやすいという特徴がある。

 

例えば、私赤石の握力は本日7/24時点で測定した結果44kg。 ゴリラの握力は約500kgあるといわれているが、なぜ自分はゴリラの握力の10分の1以下しかないんだと劣等感に苦しむことはありません。

 

同年齢の日本人の平均握力が47kgですから、平均値より低いことになります。

こうした比較の対象が自分の近いものと比べ劣っていると感じた後に、劣等感は芽生えてくるのです。

一言でいうと、自分が他と比べて劣っていると感じること。

実際の能力等が低くても、比較の対象が存在しなければ劣等感というものはない。

また、比較の対象というものは自分と似ている者がなりやすいという特徴がある。

 

例えば、私赤石の握力は本日7/24時点で測定した結果44kg。 ゴリラの握力は約500kgあるといわれているが、なぜ自分はゴリラの握力の10分の1以下しかないんだと劣等感に苦しむことはありません。

 

同年齢の日本人の平均握力が47kgですから、平均値より低いことになります。

こうした比較の対象が自分の近いものと比べ劣っていると感じた後に、劣等感は芽生えてくるのです。

 

 

前記事では、劣等感のコントロールを車の運転に例えました。劣等感そのものは悪いものではなく、上手くコントロールすることにより、向上心などモチベーションアップなどプラスになる面もあると論じました。

 

しかし、だからといって子供に対してはしつけを厳しく劣等感与え過ぎることは厳禁であることを訴えたい。

 

何故なら、子供は車の運転そのものが出来ないからです。劣等感だけ煽っても、それをコントロールし、自発的に向上心などに変えていくことは不可能だということです。

 

これは子供っぽい大人にも当てはまることであり、精神年齢などに合わせて指導することが大切です。過剰な煽りは事故(問題行動)を起こす要因になってしまいます。

 

 

私は幼少の頃、一時的に家庭環境が悪かったのかよく覚えていませんが、父親の似顔絵が書けなかった。上手とか下手とかの問題ではなく、なぜか書くのが嫌だった記憶があります。

 

それが絵が苦手だという意識になり、絵の時間は苦痛でしかありませんでした。幼少の頃はそうした劣等感をコントロールすることが出来ずに、絵の時間になると、先生が何か声を掛けてくれるまで、何をしてよいかわからず、フリーズ状態でした。

 

小学校2年生の絵の時間の時に、決定的な出来事がありました。テーマは風景画ですが、やはりフリーズ状態で、先生から時間がないから早く書くように言われました。

 

仕方なく、描き始めるが、絵をまともに書いたことの無い自分には、幼稚園児以下のものしか描けず、先生もふざけて描いてると思っていたのか、酷く叱られた記憶があります。

 

いつもは優しい先生だったのですが、だからこそ、叱られたショックが大きかったのです。

 

このような劣等感は、今でも絵を描けない言い訳として、現にこのように記している訳です。もしあの時、絵の苦手意識を克服出来ていれば少しは違っていたかもしれません。

 

社会人になってからは、あまり絵を描く機会が無いため、今でもその劣等感を克服することはありませんが、ブログを書いていると、絵で表現したい場面があります。

 

 

劣等感が問題行動を引き起こすか?というのは少し誤解があり、コントロールを失った状態が問題行動を引き起こすといえます。

 

握力でいうと現在44㎏ですが、トレーニングにより、50、55㎏位になると劣等感はやがて優越感に変わっていくかもしれません。

 

優越感になればそれで良しとはいきません。

優越感というのは、「思いあがり」という問題行動を引き起こす可能性があります。

 

ですから、やはり劣等感でも優越感でも感情をコントロールすることが結論となります。

 

 

劣等感の苦しみを克服するためには価値観を変えることが一つの方法になります。

 

 

手前味噌な話になってしまいますが、絵が描けないといった劣等感を克服する方法として、絵で表現出来ない分は、文字や言葉で表現する。

 

 

そうした努力は日常、特に評価される場面はないが、自分自身にとっては必要以上に卑屈になったりしないための、一つのコントロール方法になっている。

 

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